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「あら、ランタンじゃない。こんなところにいるなんて珍しいわね」

 猫頭の住人に話しかけられたのは、塔を出てからどれくらいの時がたってからだろうか。

 ずいぶん昔のようにも感じるが、ほんのつい先ほどの出来事かのように魔女の言葉を思い出すことも出来る。

 今にして思うと、とんだ無駄足だった。あれだけの塔を上ったにもかかわらず、本来の目的は叶わず、

 今もまだこうしてこの無彩色の世界をさまよっている。

「どうしたの?そんな格好して…具合も悪そうだけど…」

 心配そうにのぞき込む猫頭の表情を読む限り、やはり今の私はいろいろとおかしいらしい。まぁ自覚はしていたことだが。

 この首から上についているなにかは、本来の機能を果たしているかもわからないくせに、痛みだけは募らせてくる。

 何に由来する痛みなのか分からないので、治療法もわからない。

 そもそも思考を巡らせようにも、私の頭の中は何かに占領されていて、新たな思考を生み出す余地が許されない。

 私の願いをかなえるのであれば、その何かを思い出さなければいけない。そう魔女は言っていたが、脳にかかる霞は深い。

 だけれども。ただ一つ、はっきりしている事がある。

 そう。私は行かなくてはならない。

「図書館…へ…」

「図書館?ブレインに戻るの?私も行こうと思っていたから、一緒に行ってあげるわ」

 私のうわごとを聞いた猫頭が私の体を引っ張る。ああ、図書館はそっちにあったのか。

 役に立たなかった魔女は言った。「図書館に行け」と。

「君の頭はほぼ空っぽに近い。だから、図書館にでも行って色々詰め込んでくると良い」

 首から上を持たない魔女がどんな表情でその言葉を発したのかはわからない。

 けれども、投げやりな言葉とは裏腹に

 おそらく、魔女の言う通りに、図書館には何かがあるのであろう。その証拠に図書館に向け一歩近づくにつれて、

 首から上についている何かが燃え盛るように熱くなる。

 言語化するのであれば、これは「恨み」だ。

 言い換えるのであれば、これは「痛み」だ。

 ひっくるめてしまえば、これは「  」だ。

 言葉でなんて表現できない。本当にこのまま足を進めていいのか悩んでしまうほどに、暗く暗澹たる想いがこみあげてくる。

 そのせいで視界が陰り、見えている無彩色の世界が、より暗い闇の中に沈んでいく。

 隣で猫頭が一生懸命喋っているけれども、そもそも異国の言語のように聴こえ始めてきている。適当な相槌を返すので精いっぱいだ。

 どれくらいそうして歩いただろうか。足の先から頭のてっぺんまでそんな気持ちで溢れかえった頃、猫頭が振り返り言った。

「よわたいつ、ぁさ」

 もう猫頭の言葉は理解できない。

 …理解できないが、猫の頭をしているからと言っても、付いているパーツも一緒であれば、反応も一緒だ。

 特に猫頭は感情豊かな性格をしているようで、とても分かりやすい。

 そう。言葉なんてなくてもわかってしまうぐらいに、驚愕していた。

「りたふがんたんら?…れあ」

 何と言っているか理解はできないが、それでも何を言おうとしているのかは手に取るようにわかる。

 言葉が通じなくても行動だけでこれだけわかるのは、まるでペットと主人の関係のようだ。

 彼女はきっと猫頭というより猫なのだろう。かつて飼っていた猫を思い出す。

 だが猫頭はこの世界におけるレアケースで、この世界の住人は基本的にあの役に立たない魔女のように、

 表情という単語を自らの辞書に載せ忘れたやつらが大半を占めている。

 今新たに出てきたこの世界の住人も、例に漏れず不良品の辞書しか持っていないようだ。

「ねてくなせなはがて、とっちょまい。どけいなけわしうも?いかとっきゃ」

 猫頭同様に、何を言っているのか全く分からない。

 何を言っているのかは分からないけれど、表情のないその頭を見てようやく今すべてが確信に変わる。

 なるほど、全てはあの魔女の掌の上だったということか。

『すまないが、私は君の力になれない。前例があってね』

 続く魔女の言葉を思い出す。

『役不足で申し訳ないが、代わりにアドバイスだ』

 何が役不足だ。誤用かと思ったが、しっかりと正しい使い方をしているではないか。

 きっとこうなることが分かっていたのだあの魔女は。

 その為のヒントはいくらでもあった。

『図書館へ行け』

『君の頭はほぼ空っぽに近い』

 そして猫頭の最初の言葉と驚愕の表情。

 これはもうヒントというより答えだろう。

『ほう、今まで同種異形の頭のものは何度か見てきたが』

 あの魔女は言っていた。

『まさか、寸分たがわず同じ頭を持つものに出会うとはな』

 その言葉を聞いたときにはその意味を理解できずにいたが、猫頭と出会った時その言葉が疑問に変わった。

 猫頭は私をどう呼んだのか?

 そう。ランタンだ。

 とても親しい仲の様に私をランタンと呼んだのだ。

 あの人見知りで縄張り意識の強い猫が、親しい友人と赤の他人の私を間違えるだろうか?

 それこそ、寸分たがわず同じ頭を持ってでもいない限り、そんなことはあり得ない。

 そう。私の頭はランタンなのだ。

 

 君は私の世界の中心だった

 信じてもらえないかもしれないが、何があっても守りたいと思っていたんだ。

 初めて君をこの腕に抱いた時、あまりの儚さに手が震えるほど緊張したよ。君はとても軽かったけれど、とても重かったんだ。

 変なことを言ってると思うだろう?でも本当なんだ。

 君から初めてもらった手紙、なんて書いてあるか読めないけれど、未だに大事にしまってある。私の宝物だ。

 覚えていないかもしれないが、君は私と結婚すると言ってくれたね。

 それは無理だよなんて、困ったそぶりを見せていたけれど、内心本当にうれしかったんだ。だから私は絶対に忘れない。

 いい事ばかりではなかった。ケンカもした。君は感情がすぐ顔に出るから、君がすねた顔をしだしたときには、ヒヤヒヤしたものだ。

 それに、私は何度も君を泣かせてしまったね。

 それが君の為なんだと思っていたのだけれど、やっぱり君の泣き顔を見るのはつらかった。

 そして。いつしか君は別の世界をもって、言葉を交わす機会も減ってしまった。

 でも私はそれでいいと思っていたんだ。

 私のやることは変わらない。

 君の笑顔を守ることだ。

 その為ならどんなことでも頑張れた。

 でも、君は居なくなってしまった。

 君の笑顔はなくなってしまった。

 君のすねた顔も。

 君の涙も。

 感情に合わせてコロコロ変わる君の表情が。

 あの日全てなくなってしまった

 あの日から、私の世界の中心に穴が開いてしまった。

 それは大きな穴だ。

 私を支えていたあれこれがその中にドンドン落ちていった。

 いや違う。

 私が落としたんだ。

 そのほうが楽だったから。

 いろいろなものを見ないように。思い出さないように

 そして私は、大事なものを忘れてしまったのだ

 

 そのドアは思ったよりも軽かった。

 それもそのはず。どこにでもあるような普通の家の普通のドアだ。

 地下室を隠すような重厚な扉なんかではない。

 だけれども、私にとってはそのドアは世界中のどんなものよりも重たく、開けることはできないと思っていたのだ。

 事実、私はこのドアの前に長い間立ち尽くしていた。

 それどころか、いつでも来れるはずなのに、ここに来ようと思ってからとても長い時間を掛けてしまった。

 それくらいに重たいドアなのだ。

 だがしかし、そんなドアが開いた。本当に、ほんのわずかな力で。

「テオドールかい?悪いけど今ちょっと手が離せなくてね」

 薄暗く埃っぽい部屋の奥から声が聞こえる。

 そういえばあの子が言っていたな。彼は片付けは苦手なんだと。今なら思い出せる。

 その時のあの子がどんな顔をしていたか。

「さぁ、これで良い。待たせて悪かったね、テオドール。さぁ、紅茶に…し…」

 振り返った青年が、まるで時が止まったかのように一切の動きを止める。そしてその顔は驚愕に満ちている。

 無理もない。顔を見せるなと言った当の本人が突然現れたのだから。

「アポイントもとらずお邪魔してしまい、すまないね」

「あ…いえ…すみません…!違う人だと勘違いしてしまっていて…!あ、今紅茶を…」

「すぐお暇するつもりだ。気遣いは無用だよ。気持ちだけ頂こう」

 青年が手に取るように慌てているからこそ比較的落ち着いていられるが、私とて内心穏やかではない。ボロが出る前に帰らなくては。

「それでは…」とすすめてくるイスも目をつむり首を横に一度だけ振って辞退した。

 どんな言葉で、どんな表情をすればいいのか分からないのだ。

「一つだけ、聞きたいことがある。良いかな?」

「っ、はい…」

 緊張が走るのが目に見える。かつて私が青年に掛けた言葉を思い返せば無理もない。

 -君を責めはしない。

 -けれど、きっと私は君を許せない。

 あれは事故だったとは理解している。

 それでも、もし青年と一緒にならなければ幸せになれたかもしれない。そう考えてしまう自分がいたのだ。

 さぁ、早い所この気持に決着をつけよう。

「……」

 しかしいざとなればなんと質問してよいか分からなくなる。

 あの子は幸せだっただろうか?そんなことはいまとなれば答えはなんとだって言える

 私とは良い関係であっただろうか?そんなことこの状況では答えは一つにきまってる

 「あれは…?」

 質問に困ってあたりを見渡したときに、ふとあるものが目に写った。

「あ…これ見ますか?彼女が撮ったんです」

 そう言って青年が差し出して来たのは、たくさんの、何枚もの写真の束だった。

 そこには青年を始めとして、友人など沢山の人が笑顔で写っていた。

 何枚も何枚も。たくさんの笑顔で溢れていた。

 そしてその中に紛れて、あの子自身も見つけることが出来た。

「あ、それは僕が撮ったので、彼女ほどは上手には撮れてないんですけど」

 確かに構図や技術に差を感じるものの、それでもそこにはまさしくあの子がいた。

 笑顔ばかりではなく、ちょっとすねていたり…泣いていたり。

「おかしいですよね。すねてたりするとカメラを向けても全然笑ってくれなくて」

 ああ、そうだ。あの子はそうなんだ。

「笑ってるときはすごくいい笑顔なんですけどね」

 あの子は、感情がすぐに顔に出るんだ。

「彼女は、感情がすぐに顔に出るので」

「…そうだな」

 ならば、と何を聞けばよいかわからなかった答えを見つけた。

「すまないが、写真を一枚頂けないかな?」

 あの子は感情がすぐ顔に出る。

 だとすれば、この写真の中で青年と笑っている彼女こそ私の聞きたかったことの答えなんじゃないだろうか?

 どんな言葉よりも、この笑顔が、彼女が幸せだったことの証なんじゃないだろうか?

「構いませんよ。あ…でもそれなら」

 そうして青年は、一枚の写真を探して差し出してきた。

「とても幸せそうな笑顔をしているので、おふたりとも」

 

 帰り道、妻との会話を思い出した。

「あの子は本当に感情がすぐ顔に出るから、困ったものだ」

「そうですね。一体誰に似たんでしょうね?」

 まるで私のせいだと言われた気がして不機嫌な顔をしたものだ

「ほら、そっくり」

 青年が差し出してくれた写真には、そんな私が幸せそうに笑っていた。

 いや、幸せそうじゃない。幸せだったことをはっきりと覚えている。

 それは、なんの特別なこともない、平凡な日常だったけれど。

 この時確かに私は幸せだったのだ。

 あの子もそうだったのだろうか、と不安であったのだけれど。

 写真の中で、私の横で幸せそうにしてるあの子の笑顔をみると、つい私も笑みがこぼれてしまうのであった。

 なるほど。あの子の感情がすぐに表情に出てしまう癖は、たしかに私に似たようだった。

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